私は悲しい、と口に出してみる。言葉にしたとたんに嘘のように響く。
私の悲しみと私の言葉のあいだにはあまりにもたくさんの距離があって、「AはBだ」という普通の言葉ではまったく手が届かない、と思う。
死んだ友達に何度も電話するそういう行動に酔ってるから(藤宮若菜『天国さよなら』)
藤宮若菜さんの歌の「わたし」は、「悲しい」という言葉すら、ほとんど口にしない。とても重い体験や思いを、なんでもないことのように、ふと呟く。その奥に特別ななにかを読みとろうとする私の視線は、「わたし」の言葉に遮られる。「そういう行動に酔ってるから」。ただそれだけのことだ、と。
語る「わたし」と、それを読む私。二つの一人称のはざまに、言葉にされない悲しみが揺らいでいる。
わたしの幸せが私の頭の外にもあったらいいのになあ(『まばたきで消えていく』)
私の幸せは、私の頭の中にしかない。そう口にすればそれは、私は幸せではない、と言っているのと同じで、けれど「あったらいいのになあ」とほとんど朗らかにつぶやく「わたし」に、その屈託はない。「わたし」はたしかに幸せなのだ。それが頭の外にも、そう、あったらいいのになあ、と思うだけで。
「わたしは幸せではない」という実質的なメッセージと、あくまで穏やかな文字通りの意味との矛盾。その亀裂のなかに、読者としての私は、隠されているものを読み取ろうとする。おそろしいことを穏やかに語る「わたし」の顔の裏に、いったいどれほどの思いがあるのだろう、と。けれどほんとうはきっと、隠されているものなんて何もないのだ。ただの空白。ただの空っぽの悲しみ。頭が割れそうになるほどの。
藤宮さんの歌の「わたし」は、というよりほとんどの一人称の歌がそうなのかもしれないけれど、他人になにかを伝えようとはしていない、と思う。「わたし」のなかに幾重にも折りたたまれたコンテクストが、ふと、開かれないまま言葉にされ、誰にも拾われないまま消えていく。
しゃんぐりら しゃん しゃん 死なない朝だって自分でえらんだ気がしてるだけ (『まばたきで消えていく』)
「死を選ぶ」、と普通の言葉はいう。けれど、しゃん、しゃん、とつぶやく「わたし」にとって、あえて「えらぶ」のは死なないことの方だ。いま「わたし」が生きているのは、毎日それを選んできたからで、けれどそれすらも、と「わたし」は言う、ほんとうはそんな気がしているだけで、生きることも、死ぬことも、自分の手の届かないところにある。
悲しいから死ねるわけでもない。悲しみにあらがって生きられるわけでもない。だとしたら、私の悲しみにいったいなんの意味があるのだろう。しゃん、しゃん、とくり返される楽園の名前の断片とともに、目をさますたびに訪れる(かもしれない)「死なない朝」の光のなかで、口にされないままの問いが木霊のように響く。
ともだちが生き返るよりわたしが死ぬ方がはやいか 牛乳198円の日 (『まばたきで消えていく』)
スーパーの乳製品の棚の前で、かごを片手に値札を眺めながら、ふと気がつく。「ともだちが生き返るよりわたしが死ぬ方がはやいか」と。
「わたしが死ぬ方がはやい」とはどういうことなのだろう。きっとともだちが生き返るのにはものすごく時間がかかるから(最後の審判というものがくるのはずっと先のことらしい)、その前に私が死んでしまう、ということか。それとも、死んだともだちが生き返るのを待つより、私から会いにいく方がはやい、ということなのか。そのどちらもきっと本当のことで、そのことにふと気がつく。そして安売りの牛乳を手に取る。
変えられない過去と、日常の中で出会うものごと。そのふたつが触れ合う点のような場所で「わたし」は語る。「わたし」につけられたいくつもの傷跡をとおして、「わたし」の過去のかけらが零れ落ちる。そして日常が続いていく。
宛を様に書き換える感じの茶番たまにはずっと死なないみたいに
ほんとうみたいのみたいがだいじPAの横で飲んでた薄いビールも(『まばたきで消えていく』)
えいえんごっこをえいえんにする 雨あがりの川はかすかな雨を運んで
きみといた日々のすべてが比喩になりときどき月あかりで目をさます (『天国さよなら』)
「みたい」なものでしかない日常を生きるなかで、大切だった日々の記憶は比喩に擦り切れていく。「わたし」はそれを受け入れて、仮初の日々を淡々と生きていく。
そんな「わたし」が口にするからこそ、「天国」という途方もない、うそような言葉に胸を打たれる。
天国でまいごになって西口へぬけたらきっと立っている 笑っている
天国で会ってもきみはきみだからわたしに生きてと祈ってくれる (『天国さよなら』)
すべてが消えていく日々のなかで、あえて別の世界の存在を信じてみせること。消え去っていくものの記憶を書きとめること。
きっとそれは言葉ができる一番大切なことで、そこに救いがあってほしい、と思う。そんな祈りを込めて、紡がれた「わたし」の言葉を何度も読みかえす。